50年代に誕生して以降、ロックは今日に至るまで様々な形を取り続けてきた。
ある時は反逆のシンボル、ある時は民衆の怒りの代弁者、ある時は自由の象徴…など、その形態は時代背景、演者によって全く変わってくる。
それは国や地域によっても同じことが言える。
その地域の文化・社会・歴史・宗教・民族が独特過ぎる故に、音楽にまで影響を及ぼしている例も少なくない。
それらを背景に、ガラパゴス化…という表現が妥当かどうかはわからないが、その土地ごとに進化した独自の生態系(音楽性ね)を持つ、まるでご当地ラーメンのようなロックバンドが世界各地に存在する。
そこで今回はほんの一例だが、点在する世界のご当地ロックを紹介してみたいと思う。
そこかしこで流れてる商売っ気のニオイがするロックに飽き飽きしてる貴方、たまにゃ異世界の風に吹かれてみては?
新しい発見があるかもしれませんぜ。
人間椅子(日本)
ご存知我が国が世界に誇るベテラントリオである。
ドゥームロック×文学×津軽民謡という余りにも独特の世界観、演奏能力の高さとねずみ男コス(本人曰くピーター・ガブリエル)で度肝を抜いた鈴木研一氏始め、和嶋慎治氏の怪しいギターも伴ったその玄人好みのロックは当時イカ天出身のどのバンドよりも異彩を放っていた。
近年は人間椅子にしてはややシンプルながらもソリッドなロックにシフトしてはいるが、その程度でオリジナリティが薄れるハズもなく人間椅子以外現出不可能な作品を演奏し続けている。
イカ天にて地獄の釜の蓋を開けた"陰獣"、謎めいていて美しい"夜叉ヶ池"、LEAFHOUND的なヘヴィリフと津軽民謡の奇跡的邂逅"どだればち"、70年代ハードロックの美味しい所を凝縮した"蟲"、精神的・物理的両義でウルトラヘヴィな"羅生門"、"相克の家"など、代表曲は一通り網羅されてる「人間椅子傑作選」を初めて触れる方にはオススメする。
"魅惑のお嬢様"が入ってないのはちょっと納得いかないけど。
COC【corrosion of conformity】(アメリカ)
ロック産出大国アメリカの中から一つだけロックバンドを選べと言われれば、私は迷わずこのバンドを選ぶ。
個人的に考える「ロック」というものをこの世で最も体現しているバンドだと思われる。
元々ハードコアバンドとしてスタートしながらも、ペッパー・キーナン加入後は本来のロックのあり方を追求し続ける「王道」へと方向転換。
サザンロックやブルースロックなど南部土着性の音楽を取り入れるなど、先輩であるTHE ALLMAN BROTHERS BAND、LYNYRD SKYNYRDらに敬意を払いつつも、ハードコア時代のヘヴィさ、アグレッシヴさをキープするという無頼漢ロックを完成させた。
この世にロックのカタチは星の数程あれど、「何をしゃらくさい、いらんことすな!!」と言わんばかりに不純物を徹底的に取り除いた無加工ど真ん中ストレート純度100%の音の塊をぶつけてくる姿勢は、真の王道たるロックを雄弁に物語っている。
「WISEBLOOD」、「AMERICA'S VOLUME DEALER」あたりを聴いてみてほしい。「豪放磊落」や「骨太」などの表現ではとても追いつかない世界が待ち受けているから。
純然たるアメリカ産ロックバンドとして彼らを紹介してはみたが、彼らの前では「アメリカン・ロック」という言葉がなぜか陳腐に聞こえる。
BARIS MANCO (トルコ)
知る人ぞ知るトルコの国民的ロッカーである。
トルコというとあまり音楽的には日本人に馴染みのない土地ではあるが、マンチョ自身は大変な親日家だそうで90年代には創価学会のバックアップの下(マンチョ自身も熱心な学会員)、来日公演も行っている。
コンサート中、"Kara Sevda"にてノリノリの故・池田大作氏が見れるのはかなり貴重ではなかろうか。
初のコンセプトフルアルバム「2023」で聴かれる西暦2023年の近未来社会を表現した壮大な音世界は、アナログシンセをフル活用しながらも中東風とも東欧風とも取れるような、しかし何処か日本人に馴染みのある摩訶不思議なメロディがまるで視覚にまで影響してくるプログレ・サイケデリックロック風味と伴って脳髄の奥深くまで絡みついてくる。トルコという土地が生んだプログレッシヴロックの超傑作と言えよう。
この作品を聴くと何故か、無性に旅に出たくなる。
「飛んでイスタンブール」は別に関係ないけど。
辺境ロック愛好家だけのものにしておくなんて勿体ない、もっと多くの人に知られるべきアーティストである。
ORPHANED LAND(イスラエル)
イスラエル出身のプログレッシヴメタルバンド。
平和を訴える音楽家は数あれど、今日の世界情勢においてORPHANED LAND程メッセージ性が真に迫るバンドもそうはいないと思われる。
「世界平和」について一家言持っている彼等が、世界大戦待ったなしの現状をどう捉えているかは分からないが、一つだけ言えるのは世界がどうあれメッセージ性がどうあれ、彼等の創造してきた最高の音楽が確かに存在することだけである。
「プログレッシヴロック」と聞くとやたら難解で目まぐるしく展開が変わって聴き手側が置いてけぼり…というアーティストもチラホラ見かけるが、彼等に関しては心配無用。中東の土着音楽をベースにした音楽性は、難解さやとっつきにくさの欠片もなく、それよりもメロディのキャッチーさやライヴでのシンガロングのしやすさに比重を置いている印象。飽くまでヘヴィメタルの土俵の中でエキサイトメントを損なうことなく独自性を消化するという手腕の高さは、ライヴでの聴衆の盛り上がりを見れば明らかである。
中東風のメロディを上っ面だけなぞるだけで悦に入るような欧米・アジア圏のバンドが逆立ちしても辿り着けない地力の違いを見せつけた「The Never Ending Way of ORwarriOR」、楽曲はややコンパクトになりつつもスケール感がメジャー級に増大した「All is One」など、作品を出すごとに成長・巨大化している彼らの様なバンドが世界を一つにするキッカケとなることを切に願う。
彼らの全てを理解した訳ではないが、伝えたいことは全て「All is One」という言葉に集約されている気がしてならない。
AMORPHIS(フィンランド)
90年代のヨーロッパメロデス・バブルの頃にデビューした頃にもその片鱗は既に見え隠れしていたが、ORPHANED LANDに負けず劣らず祖国の文化・伝説・伝承に非常に深い関わりをもったバンドである。
民族叙事詩「カレワラ」(日本で言う『遠野物語』みたいなもの?)を元に構築されたその深遠なる音世界は、「んーさむそう!」というアホみたいな私のフィンランドに対する先入観を覆すどころか、想像以上の奥深さ、精神性、彼の地独特の叙情性、そして超自然的な「何か」を映像を伴うような錯覚を起こすほどの迫力を持って私を打ちのめした。
かくして私のフィンランドのイメージは非常にミステリアスでファンタジックになってしまったが、大袈裟でなく彼等の作品にはまるで別世界に連れて行ってくれるような、重ねて言うが「超自然的な何か」がある。
「Silent Waters」の様な一部のスキもない作品を聴くと尚更である。ジャケ写、歌詞、音楽性すべてが万華鏡的カラフルさを伴って聴覚を支配する様は戦慄すら覚える。
現実逃避したい方、そうでもない方、お試しあれ。
番外
GORAN BREGOVIC(ボスニア・ヘルツェゴビナ)
ロックではないが、昔ロックをやっていた作曲家ってことで。
どっちかてぇと映画音楽作曲家の印象が強い人だが、やはり生まれの影響か、バルカン・ジプシー的民族色の強い東欧メロディが中々クセになる味わい深い音楽を演奏している。
フルオーケストラ・混声合唱を駆使して行われる大規模なコンサートは必見。ゴラン本人もギター弾いてるけどあんまり聞こえないのは何故?
なるたけ有名どころを取り上げてみたが、これだけ見ても生誕から100年も経っていないロック音楽というものが、これだけのヴァリエーションをもって世界に伝播していったことに今更驚かされる。
チャック・ベリーもプレスリーもボ・ディドリーもここまでは想定してなかったに違いない。
しかしこれまでもそうだったように、これからもロックは産まれも人種も土地も思想も関係なく人間の表現欲求に寄り添って進化してゆくだろう。
全てを受け入れ、全てをアウトプットしてくれるロックの懐の深さに、我々は只々敬服するのみである。

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