夏がキライである。
夏といえばTUBE、夏といえば稲川淳二氏…くらいの浅い例えしか出てこないくらいには夏が嫌いな私にとって、この3ヶ月ほどの苦行にも似た季節をどう過ごすかという問題は、毎年頭痛の種である。
長すぎる日照時間、まとわりつく湿気、ひたすら暖かい空気を送り出す扇風機、すぐ腐る食料、水ガブ飲みによる下痢、許可もなく土足で人んちに侵入してくるアリ・ゴキブリ・ムカデ等……。
もうウンザリである。
絵日記つけてカブトムシとってアサガオ育ててスイカにかぶりつく…といったまるで井上陽水の"少年時代"を思わせる目を細めたくなる憧憬を、気温の高さによるデメリットばかりに目が行ってしまう私のようなすれっからしの中年がもはや持ってるハズもなく、天気予報の「明日は今日より1度低くなる模様です」という殆ど誤差じゃねーかと普段の私ならば思うような予報に一喜一憂する日々・日々・日々……。
ホントにウンザリである。
しかしそれでも生きていかなきゃならんわけで、たとえ日々が苦しくとも辛くとも人間はやがて順応し、そういった環境の中でも楽しみを見出す生き物である。
海水浴、花火大会、お祭りといった具合に各種イベントが盛り沢山である故にはしゃぐ人間も一定数いる季節ではあるが、ウルトラインドア人間である私がそれらにときめく事はなく、心身ともに動かざること山の如し。
まあこうやってウジウジ言っててもどうしようもないので、この季節で唯一の楽しみであるホラー映画・怪談・ホラゲー等の体験日記でも書くべきなのだろうが、薄っぺらな怪談を披露したところで私程度の文章力では人を怖がらせるどころか指をさされて笑われるだけである。
それ以前に恐怖体験とかしたことねーし。
さらに当ブログは末席と言えど音楽ブログの端くれである。
恐怖体験を語るならば音楽をもって語るべきではなかろうか。
音楽を聴いて恐怖を感じる事は滅多にないが、この作品はその数少ない例外かもしれない。
紹介しよう。
「CRUELTY AND THE BEAST」(邦題・鬼女と野獣)である。
本作は中世に実在した、エリゼベート・バートリなる人物を題材としたコンセプト・アルバムである。
ある筋ではかなり知られた人物だが、メタルバンドが題材として扱うような人物である。知らない人の為に一言で表すと・・・・
人類史上最悪レベルの大量殺人鬼である。
(石井部隊とかポル・ポトとか人民寺院とか言い出したらキリが無いけども)
ハンガリーの名門バートリ家という高貴な家柄に生まれながら、「己の美貌を保つためにはうら若き娘の生き血が不可欠」という妄執に取り憑かれ数多の罪なき少女を惨殺。
あらゆる拷問、残虐行為で犠牲になったその人数はなんと約600人(諸説あり)。
犠牲者達からすればたまったもんではないが、ほぼ吸血鬼と言っても過言ではないこの所業から、現代において映画・音楽・漫画・ゲームetc.エンタメ界隈から引っ張りだこな人物である。
勿論、デビュー当時からヴァンパイアホラーなイメージを売りにしているCRADLE OF FILTTHが、「大量殺人」、「生き血」、「鋼鉄の処女」等の物騒なキーワードがひしめく血に塗れたこの題材をほっとくハズもなく、ナポリタンとアルミの皿の如く相性の良い両者が出会うは必然。
忌まわしくも素晴らしいコンビネーションを発揮した結果、音楽・アートワーク・歌詞が三位一体となったこの映画的恐怖音楽が生まれ落ちてしまったのである。
そんなわけで、エアコンの効いた部屋で聴くこの極上のホラー・コンセプト・アルバムこそが、私にとってのニッポンの夏の正しい過ごし方なのだが、改めて聴き直してみると、この作品の恐ろしさは想像以上であった。
オープニングナンバー"Once Upon Atrocity"からして、まるで往年のハマーフィルム産ホラー映画の如く壮大なオーケストレーションが格調高く血なまぐさい物語の序章を告げる。
まさに「映画的恐怖音楽」と前述した通り、これはもう音楽というよりもホラー映画のサントラである。
続く"Thirteen Autumns And A Widow"は、それまでも、そしてこれからもメタル界唯一無二であろう狂気と血みどろの断末魔ヴォーカリスト・ダニ・フィルスによるストーリーテリングをガイドに、バートリ夫人の幼少期から結婚、そして夫の死までを描いた楽曲だが、美しいメロディラインの裏に潜む狂気が徐々に顔を覗かせる様は、まさに夏の夜の悪夢の如し。
そして"Cruelty Brought Thee Orchids"。
残虐行為の数々を綴った歌詞と、それに呼応するかのようなシンフォニックアレンジや女性コーラスを用いた背筋も凍る恐怖演出。
正直、真夏のクソ暑い夜中に一人で聴くにはあまりにも重すぎる内容である。
女性の悲鳴がリアル過ぎてビビりまくった"Venus In Fear"を経て、この作品の中では比較的ストレートなブラックメタルを聴かせる”Desire In Violent Overture"、宗教的象徴を悪用する貴族階級の偽善性を唄った"The Twisted Nails Of Faithなど、耽美・醜悪・血飛沫に彩られた各楽曲に翻弄されて終盤に差し掛かるころには、もう身も心も股間も縮みあがっているであろう。
だが、本作の真の恐怖は11分を超える大作"Bathory Aria"にこそある。
3部構成で展開される、まさにバートリ夫人の狂気の集大成。
弔事の雰囲気を思わせる静かなピアノから始まるこの曲は、バートリ夫人の「死への恐怖~不老不死への妄執~権力者ゆえの孤独~因果応報的孤独死」という彼女の人生の縮図のような展開を見せ、並のプログレバンドなら裸足で逃げ出すほどの圧倒的構成美に舌を巻くばかりである。
特に曲終盤、かつて銀幕にて吸血鬼を演じたこともある故イングリッド・ピット女史による異常な迫力を伴った独白は、チェイテ城に幽閉された夫人の魂がゆっくりと虚無の奈落へ運ばれてゆくような錯覚を覚えた。
これぞコンセプトアルバムの醍醐味、これぞメタルオペラの極致と言うべき楽曲である。
総じて、コンセプトアルバムとしてはかのQueensrycheによる「Operation: Mindcrime」の牙城に迫る程の傑作といえるのではなかろうか。むしろ別世界へ誘う吸引力という点では凌駕しているかもしれない。
しかしながら、これを聴いているうちに気づいたのは、この作品の恐ろしさは音楽的な意味だけではないという事実である。
何が恐ろしいかって、このアルバムを初めて聴いたのがもう20年以上も前なのである。
当時はまだ体力もあり、夏の暑さにも今ほど参ってはいなかった。
それが今や、体力は衰え、少し動いただけで汗だくになり、冷房の効いた部屋から出るのも億劫になってしまった。
バートリ夫人は生き血を求めて数百人を殺害したが、私は何もしなくても時間という名の殺人鬼に確実に追われつつある。
夫人は美貌を保つために血を求めたが、私は何をしても失われゆく体力を前にただ佇むばかり。
さらに言えば、この暑さの中でエアコンを使い続けるとマジで電気代がヤバい。
節電のため冷房を我慢すれば熱中症の危険があり、電気代を気にせず使えばもう生活が成り立たない。
結局のところ、夏の暑さも、老いも、経済的困窮も、すべてが私という存在を徐々に蝕んでいく。
バートリ夫人のように邪悪の限りを尽くす気力も体力もない私には、テレサ・テンの如くただただ時の流れに身を任せるしかないのである。
血の伯爵夫人はチェイテ城に幽閉されて最期を迎えたが、私は狭い部屋で冷房と電気代の板挟みになって最期を迎えることになるのだろう。
やっぱり夏はウンザリである。
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