ヴォーカリストの交代というものはバンドにとって一大事である。
ほとんどのヴォーカリストはバンドの顔、バンドイメージ、楽曲のカラー、スポークスマン、女性ファン担当…その他諸々を担っており、その交代劇による売上の変化や音楽性の変更を余儀なくされた例も多い。
ハードロック・ヘヴィメタル界隈に置いても大物バンドから取るに足らない小物まで、交代の理由は音楽性の相違、将来性、金銭問題、酒、クスリ、仲違い、年齢、死別、失踪、体重、血圧、ヘッドハンティング、カタギになりたい、普通の女の子に戻りたいなど多岐に渡る。
「ヴォーカリスト交代!」のニュースが流れる度、「ゴボゴボ声がゲボゲボ声に変わったよ!」という極めて微細な変化を感じ取れるよく訓練された上級デスメタルファン程ではないにしろ、ファンは色めき立ち、振り回され、一喜一憂する。
過去を見ても、BLACK SABBATHのみならず、JUDAS PRIEST、IRONMAIDEN、VAN HALEN、RAINBOW、AC/DC…等、大物バンドほどその影響は大きく、注目もハンパないだけに多くのドラマを生み出してきた。例えば…
- JUDAS PRIEST 一説にはロブ・ハルフォード以上の逸材ではないかと噂されながらも、バンドの音楽性の転換期と鉢合わせてしまい不発に終わったティム"リッパー"オーウェンズ
- Mötley Crüe それまでとは違うブルージーなハードロック路線に路線変更、大健闘しつつも「ヴィンスのMötley」を求める声の前に作品1枚で脱退。寂しさに負けた、いえ世間に負けたジョン・コラビ
- SKYLARK ヴォーカリストとしての素養がまるでない純然たる「萌えキャラ」(死語)として加入、「スカイラーク全部」が2ちゃんねる流行語大賞にノミネートするなど潜在的な萌えメタル市場開拓に尽力したキアラ
何もSKYLARKをJUDAS PRIESTとMötley Crüeと並べなくても良さそうなもんだが、数多の過程を経て、ロック史に刻まれるべき各時代の徒花となった偉大なヴォーカリスト達が居たからこそ、こうして今日の音楽業界発展に繋がったのである。
その中でも、やはり忘れてはならないのがBLACK SABBATH各時代における各ヴォーカリストの奮闘であろう。
正確に数えた訳では無いが、作品単位で考えると約4人(活動期間で考えると恐らく10人前後?)が交代しており、大きく分類してオジー原理主義時代、アイオミ&ディオのWねばり時代、ドゥームメタル勢が崇拝しがちな悪魔の落とし子時代、そして教科書的様式美トニー・マーティン時代に分かれると考えられる。(異論は認める)
面白いのは、各時代にファンがついており、まるでどっかの政権与党のように派閥めいた様相を呈している。
「Black Sabbathはオジーだろ!!」
「いやネバネバ正統派のディオよ!」
「いんにゃ悪魔ギランずら!」
「トニーだっちゃ!」
という各派閥の声は分からなくもないが、それぞれの時代でまるで音楽性が違うんだから比べてもしゃーないっしょ?とも思う。同じバンドなのに不思議。
正直、個人的にはBLACK SABBATHのアルバムでヒドい出来のモノは無いと思っている。そりゃ賛否両論あるだろう。
「technical ecstasy」のジャケは意味不明だとか、「dehumanizer」のジャケはダサいとか…
ヴォーカリスト関係ねえな。
とは言え、どうも「FORBIDDEN」だけはやはり駄作扱いされがちである。
その昔、ラジオから初期サバスばりのドゥーミーなリフを持つ"The Illusion of Power"が流れてきた事をよく覚えている。
当時ドゥームメタルにハマってた私は、やたら早口でまくし立てるトニー・マーティンが気にならないでもなかったが、「わぉ!初期っぽい!」という浅はかな理由で購入を検討。しかし後日、何故かParadise Lostの「Draconian Times」を購入…というワケの分からない思い出がある。
本能的に駄作である事を感じ取ったのかもしれない。恐らく中間パートでラップが聴こえてきた事に危機感を覚えたのだろう。
ミュージシャンが新しい試みを導入するのは歓迎すべき事ではあるが、BLACKSABBATHがラップを導入するのは和泉元彌がプロレスに挑戦するくらいお門違いである。
しかし、「FORBIDDEN」に対する違和感はそれだけではなかった。主な理由は2つ。
第一に、トニー・マーティンのオーバースペック問題である。
私はかねてからトニー・マーティン時代のBlack Sabbathのライヴ映像を見る度、何か落ち着きの無さを感じていた。
これだけ歴史のあるバンドともなると、セットリストに難儀するのは自明の理。ヴォーカリストが変わったとは言え、人気の初期曲を外す訳にはいかない…というのは理解出来る。しかし、トニー・マーティンの歌う"ironman"や"warpigs"にある種の「場違い」な印象を受けたのも事実。
オジーが下手、トニーは上手、なんてことを言うつもりは毛頭ない。そもそも比べようが無い。
ご存知の通り、オジー時代とトニー時代では音楽性が全く違う。
大雑把に言えばアンサンブルの妙技やフリージャム的な雰囲気が中心のオジー時代、様式美ヘヴィメタルをベースに歌メロを重視したトニー時代、といった趣である。
サバス内部の作曲プロセスは知らないが、各ヴォーカリストのスタイルに合うよう作曲するという思いはトニー・アイオミにも少なからず念頭にあったのではないだろうか?
トニー時代の歌をオジーが妖気と邪気溢れるノッペリヴォイスで歌えるはずも無く、オジー時代の曲をトニーのしっとりした悲愴感漂うハイトーンヴォイスで歌うにはオーバースペック過ぎる(つーか似合わない)。
"Ironman"、"Warpigs"ではトニー・マーティンの魅力は半分も伝わらないと感じたのだ。(オジーの歌う"The Law Maker"とかそれはそれで聴いてみたい気もするが)
結果、中域~低域にかけてのたうつように歌い、ハイトーンが映える曲が殆どない「FORBIDDEN」には、トニーは合わなかったと言わざるを得ない。
二つ目に、音楽スタイルの変化である。
「ETERNAL IDOL」~「CROSS PURPOSES」の作風に比べ、「FORBIDDEN」はメロディよりもリフを重視したような作品である。後のストーナーロックほどとは言えないにしても、アイオミのお家芸的ケッタイなリフをやたら繰り返す曲調が目立つ。それに歌メロを付ける作業が難航した事は想像に難くない。
原点回帰と言えるかもしれないが、それにしちゃ中途半端である。
以上が私の「FORBIDDEN」に対する違和感の正体ではあるが、それらを踏まえると、
「FORBIDDEN」は、オジーが歌うべきだったのではないか?
という、さして意味の無い疑念が年々強くなる。
「タラレバ」な考え、埒もないハナシではあるが、やはりオジーもトニーも万歳!なファンからすれば、そういった願望を抱いてしまう。
ギーザー・バトラー曰く「歌メロを付ける天才」であったオジーにかかれば、「FORBIDDEN」の扱いはもう少し違った結果になったのかも知れないのだ。
それだけに、リユニオンツアー(97年頃)前にもう少し早く、具体的に言えば2年ほど早くオジーが合流してれば…と、それこそ埒もない考えが浮かんでは消えるのがファンの業というものである。
なんせ「FORBIDDEN」がリリースされたのは95年なのだから。
私は脳内でヴォーカルをオジーに変換して聴いてるが、なかなか悪くないっすよ。
ラップのパートは全く想像できないけど。
歴代のヴォーカリストと共に創りあげたあらゆる作品を経た結果「FORBIDDEN」が産まれたのならば、それは必然だったのだろう。
傑作であろうが駄作であろうが、これにはしかとこの世に1つしかないサバスの烙印が押されてある。
だから私はこの作品を憎めないのである。
メンバーの変遷を経る事に、バンドは「メンバーの個性」と「バンドの個性」の間で葛藤する。
そしてバンドの数だけヴォーカリストは存在し、ヴォーカリストの数だけそこにはあらゆる人間ドラマが存在する。
これからもヴォーカリスト達は、良くも悪くも世間から注目され、ファンから愛され、憎まれもするであろう。
同時にこういうどうでもいい妄想やゴシップに付きまとわれるであろう。

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