酒と泪とクスリと奇行  ~再考・オジーオズボーン~

2025/08/07

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「一体何がそんなにすごかったのか、俺には全然わからないんだよ。俺たちはただの、バーミンガムの四人の半端者だった・・・」
~ オジー・オズボーン ~





思えば、本人の言うようにこの男の何が凄かったのかとも思う。


決してヴォーカリストとしては上手ではないし、ノッペリとした声質はできる表現も限られていただろう。良く言えば存在感のあるヴォーカリストだが、フラットな目で見てみるとかなりヘタである。
さらにBLACK SABBATH時代から酒・クスリに溺れ、人生のだいたいにおいて記憶がなく、コウモリ・鳩を嚙みちぎり、慰霊碑に立小便をするなど奇行に次ぐ奇行。


ロックンロールの悪いところをすべて凝縮したかのような伝説の数々は、世間のいわゆる"良識派"の連中の眉を常にひそめさせてきたという狂人の勲章でもあるが、それだけで彼が世界中から愛されるロック・アイコンになり得たのだろうか?



勿論そんな訳はない。



数々の奇行がクローズアップされて伝説化するのであれば、居酒屋で吐くほど泥酔して、ジョッキ三杯分キレイにゲロで満たした挙句、マッパになって出禁を食らった私だって伝説化していいはずである。スケールはともかく。


キース・ムーンしかりジョン・ボーナムしかり、死んで伝説化したミュージシャンはそこそこの割合で存在する。
しかし彼らは破天荒なエピソードはさることながら、ミュージシャンとしての当たり前の才能も併せ持っていた。

常識・良識とはかけ離れた私生活を送りながらも、ロックという音楽の様式美にこだわることなく常に限界突破に挑戦するという、いわゆる破滅的ロックンローラーを地で行く生き様だったからこそ伝説化したのである。


では、今まさにロックの聖人に列聖されようとしているオジー・オズボーンは、ミュージシャンとして、ロックンローラーとして何が優れていたのだろうか?


再考してみよう。




BLACK SABBATH時代


元祖ヘヴィメタルだとかパイオニアだとか悪魔主義的だとか音楽の本質以外が持ち上げられがちなバンドではあるが、そういったバイアスを一切ナシにして俯瞰でこのバンドを聴いてみると、同時代を生きた他の数多のバンドと比べても明らかに異質である。


「ヴォーカリスト一喜一憂」でも触れたが、オジーの歌メロ醸造術は常人では想像もつかない発想で各名曲を彩っている。
それまでのポップス・ロックの常識を完全無視するような、リフやアンサンブルを重視した曲が多い中、それらにヴォーカルラインを付ける作業は想像するだけで狂気の沙汰である。


考えてみて欲しい。あなたがSABBATHのヴォーカリストだったとして、ある日ギーザー・バトラーから"Hand of Doom"のカラオケを渡されて、歌メロを付けてくれと言われたら、簡単に歌えるだろうか?


"Electric Funeral""Iron Man"の様な、ギターリフに沿った単純な歌メロも確かにあるにはある。
しかし、トニー・アイオミのケッタイなリフ捌きをはじめ、一筋縄ではいかない展開を見せる自由奔放な楽曲郡が非常に多い初期BLACK SABBATHにおいて奇跡的とも言える狂気じみた歌い回しを可能としたのは、やはりオジーの天才的な手腕によるものだったと言わざるを得ない。




・ソロ時代 ~様々なミュージシャンとの出会い~


アル中とヤク中のダブル役満状態で突入したソロ活動時代、ヘヴィメタルのスタンダードと言ってもいい作品を連発していたオジーの傍には常に優れたミュージシャン達がいた。

ボブ・デイズリー&リー・カースレイクや、ルディ・サーゾ&トミー・アルドリッジらロック界最高峰と言ってもいい凄腕リズム隊に恵まれ、華々しいギタリスト達にも出会い、そして単独での作曲を好まず、彼ら歴戦のミュージシャン達との共作という作曲スタイルが功を奏して瞬く間にカリスマへとのし上がったのである。

BLACK SABBATHという巨大バンドに所属していたとはいえ、クビになった上に裸一貫からソロ活動を始めようとするアル中に何故ここまで凄い面子が集まったのか不思議ではある。(それほどまでに皆がBLACK SABBATHに心酔していたとも言えるが)


その中でもやはり忘れてはならないのはランディ・ローズとの運命的な出会いであろう。

HR/HM黎明期から10年経ったか経ってないかというこの時期、2025年現在でも充分通じる「いかにも」なメタルギタリストが存在したという事に驚かされる。

トニー・アイオミ的でもなければエディ・ヴァン・ヘイレン的でもない、ドラマティックな正統派ヘヴィメタルに期待する全ての要素を兼ね備えた、当時としては奇跡のようなギタリストである。

なのにオーディション時のオジーは泥酔して酩酊街道まっしぐらだったらしく、ランディのプレイはロクに聴いていなかったらしい(憶測だが、奥方のシャロンが気に入って採用したのではなかろうか?)。


ランディのみならず、ジェイク・E・リーやザック・ワイルド、ガス・Gらもヘヴィメタルを体現したようなギタリストであり、しかも一音聴けばすぐそれと分かる程の超個性派ぞろいである。


ランディの悲劇的な死を乗り越え、メタルの定番曲を次々と発表し、ジェイクやザック、ガスと共にメタル馬鹿一代を貫いてきたオジーであるが、各々のギタリストがどれだけ各楽曲で個性を発揮しようとも、結局オジーが歌えば「オジーの曲」になってしまうという計り知れない魔力めいたものが存在するのは、ギタリストの交代すら「化学反応」として自らに取り込んでしまうオジーならではの超能力ゆえといえよう。


え? ジョー・ホームズ? 誰すかそれ?






・生き様


ジョン・マイケル・オズボーンは典型的な労働者階級の少年だった。

学習障害、学校からのドロップアウト、窃盗、度重なる転職、そして投獄・・。
戦後のバーミンガムではありふれたゴロツキだった。

それから程なくしてBEATLESに魅了された彼は、ミュージシャンになることを決心、BLACK SABBATHを結成して世界的な成功を収めてウハウハ・・・というパッと見、「成り上がり」を地で行く人生の様に思われる。


しかし、常にステージに立ち、クリエイティブな存在でなければならないミュージシャンという人種に突然なってしまったゴロツキがそのプレッシャーに耐え続けるはずもなく、自信のなさや現実逃避のために酒・クスリに頼り始めるのは時間の問題だった。

BLACK SABBATH時代に限らず、そのキャリアのほとんどをラリりっぱなしで駆け抜けたオジーであるが、その実体は決してプリンス・オブ・ダークネスやマッドマンなどではなく、人一倍繊細で自信のないどこにでもいる若者、ジョン・マイケル・オズボーンだったのではなかろうか。

貧しい労働者階級の少年が、苦労をバネにミュージシャンとして成功するにはそれなりの代償が必要だったのであろう。

さらには依存症による人間関係の崩壊・夫人への暴行未遂など、酒・クスリによる呪いじみたエピソードには事欠かない。



シャロン・オズボーン曰く、

「飲めば自信を持てたのよ。でも、それは自分に返ってくる。病気が進行するにつれ、誰もが酷い状況に陥る。ロクでもないことをしでかして、自分の人生を台無しにするのよ」


流石に本人もこれはマズいと思ったのか、これまで何度となく酒・クスリを断つべくリハビリを繰り返している。2010年代後半には、完全にシラフになったらしい。


そして2003年の生死の境をさまよう程のバイク事故や、パーキンソン病との戦いなどの困難がとめどなく襲ってくるわけだが、その度に何度も立ち上がり、活動を続ける姿に勇気を貰った人々も多いのではないだろうか。


もちろん、シャロン夫人や家族の支えも大きかったろうが、家庭環境・薬物依存・事故・難病という人生最大級と言ってもいいほどの問題に立ち向かい、乗り越える姿勢そのものが生き様として、絶望との向き合い方や困難へ立ち向かう力を多くの人々に与えたのである。


もちろん本人にそんな気はなかったのかも知れないし、そんなことを言ったら失笑されるかもしれない。


しかし、無自覚とはいえここまで「強くあろう」とするのは誰にでも出来ることではない。






・後進への影響



90年代の中頃、「BLACK SABBATHに影響を受けている」と発言するバンドがかなり多かった気がする。


その頃はメタルというジャンル自体に元気がなく、そういう発言をするのは大体つまらないグランジ・オルタナ系バンドだったりしたのだが、ポーズではなく生真面目にSABBATHの遺伝子を受け継いだバンドも多数存在した。

SABBATHをご先祖様と崇め、「世界最遅」を旨とするドゥームメタルというジャンルを布教せんと暗躍していたリー・ドリアン率いるCATHEDRAL、オカルト・マリファナ信仰を軸に、ウルトラヘヴィな煙たさを誇るサウンドでひたすらリフを引きずるELECTRIC WIZARD、シリアルキラーを題材とした歌詞をハードコア的やさぐれ感のあるインパクト抜群のリフにのせて「LET THERE BE DOOM」と嘯く日本のCHURCH OF MISERYなど、BLACK SABBATHのヘヴィサイドを濃縮した邪悪な種子は、世界中でひっそりとバラ撒かれ、しかし確実に育っていったのである。

もちろん直系の子孫ともいえるドゥームメタル界隈だけではなく、ど真ん中ストレートなメタルバンドや、ポップバンド、果てはハードコア・パンク勢にも広く影響を与えている事実を考えると、BLACK SABBATH、ひいてはオジー・オズボーンはヘヴィだから凄いのではなく、優れた曲を書き、そこに誰もが共感する程の日常への不満ややりきれなさ、渇望を封じ込めたが故に愛されたのではないだろうか。


そして後進の育成にも余念がなかった。


そもそもオジーの活躍の場として発足したオズフェストが、無名バンドや中堅どころを発掘、チャンスを与える場としての性格が強くなったのは、2000年代以降に新たなタイプのメタルバンド(所謂ニューメタル、メタルコア勢)が多数誕生したことと無関係ではあるまい。

今や世界的なバンドとなったSlipknot、System of a Down、Lamb of God、Avenged Sevenfoldなどもオズフェストのステージに立ち、飛躍の契機をつかみ取ったのである。

回数を重ねるごとに、時代のトレンドや多様性を象徴するフェスとして成長、古強者から新進気鋭までが一堂に会する大規模イベントとして、メタルの登竜門という性格以上にロックカルチャー全体の底上げとして、文化的にも大きく貢献したことははっきりと偉業と言って差し支えないだろう。

シャロンの言う「欲深い業界人」達によって食い潰され、運営維持が困難になってしまったことは残念でならない。

ロックカルチャーの守護神だったオジーの偉業を担う後継者が現れることを祈るのみである。






・総括


まとめると、カリスマ・音楽的功績、・破天荒さ・人間味・革新性・影響力全てを兼ね備え、決して雲の上から物を言うのではなく、あくまでも時代や世代を超えてファンの為に活動し続けた事実が、オジーを世界的なロック・アイコンへと押し上げた要因ではないだろうか。


有名人であればあるほどセンセーショナルな話題やゴシップ、奇行のウワサに飛びつくのは世間様の悪いクセであるが、それを補って余りあるほどの感動をファン達に提供し、生きる糧を与えたということは忘れてはならない。


しかし彼はもういなくなってしまった。誰からも愛される残滓を遺して。



思えば私の人生の中でも、色んなタイミングでオジーがそばに佇んでいた。

クソ生意気だった青春時代にも、すぐそばでオジーは歌っていた。

どうしようもないクソみたいな時でも、耳の中でオジーが叫んでいた。


そしてこれからも、事ある毎に、彼がケツを蹴り上げてくれるのだろう。





オジー、


会ったこともないし、何者でもない私が言うのはおこがましいかも知れないけど、

私があなたを語り継ぐよ。

多分それは世界の皆もやってくれるだろうけど、

忘れられるはずもないだろうし必要ないかもしれないけど、



それでもあなたが抜けた穴はデカすぎるんだ。







さらばオジー。


安らかに眠れ。



合掌。









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